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郡山市の西方、多田野地域に大変楽しく面白い“田植踊り”が伝えられている。太平洋戦争の頃一時期途絶えたが、昭和40年復活を遂げた。歴史は古く少なくとも、江戸時代の文化文政には一度隆盛を迎えたといわれている。昭和59年には市の重要無形民俗文化財に選ばれた。田植踊の流れは、まず鍬柄踊、田植踊り(前半)、鳥刺し(とりさし)寸劇のこと、田植踊り(後半)と進む。踊りと唄と寸劇の組み合わされた、大変楽しい芸能である。登場人物は“田主様(たぬしさま:田の持ち主)、鍬頭(くわがしら:田仕事を請け負う人)の善作(ぜんさく)、早乙女(さおとめ:苗を植える女性)それにひょっとこ姿の久六(きゅうろく)となっている。ひょっとこ姿の久六がおどけた仕草で和やかな雰囲気を盛り上げている。
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須賀川市の「古寺山白山寺(はくさんじ)」では、33年に一度、旧暦3月10日に、聖観音菩薩(しょうかんのんぼさつ)の御開帳に合わせ“自奉楽”が奉納される。“自奉楽”とは寺の仏事に行われる芸能のことで、ここでは「平鍬踊り(ひらくわおどり)」「田植踊り(たうえおどり)」「獅子舞(ししまい)」が奉納される。「獅子舞」は“太郎獅子”“次郎獅子”“雌獅子”の他に「花枝(はなえだ)かつぎ」と「鉦きり」が加わる。この獅子舞を含め、全て踊り子は少年少女が受け持つ。 この「自奉楽」の歴史は大変古い。およそ250年前この寺の住職が、子供らに“踊り”を教え村々を廻らせ、托鉢(たくはつ)によって得た浄財を基に寺を再建したとの言い伝えがある。 本編では平成19年に行われた「自奉楽」の全体を収録した、大変珍しい記録である。何せ33年に一度の奉納である、これを継承するため、踊り、唄、笛の師匠たちは、毎年旧暦の1月2日「唄い初め(うたいぞめ)」を行い伝統を守っている。
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第1章は、平成19年5月にさくら市葛城(かつらぎ)で行われた“田植祭”の模様である。本来「田植唄」や「苗取唄」は、田へ“神の来臨”を願い、“神を讃え”豊作を祈願する「神事唄(しんじうた)」であったが、田での共同作業、や単調な作業を紛らわせる労働の唄として伝えられるようになった。機械化によって失われそうになったものを、地元民謡会の骨折りで、昭和41年指定無形民俗文化財となった。 第2章は、同様に昭和41年に指定を受けた無形民俗文化財の「代々岩戸神楽(だいだいいわとかぐら)」である。かつて、地元の神官(しんかん)達が日本書紀(にほんしょき)から題材を得て36座の神楽舞(かぐらまい)を奉納した。現在では2座が1座に合体して舞われたり、無くなったりして、15座として継承されている。舞手は1年から6年までの小学生と地域住民で、週2回保存会の指導を受け練習に励んでいる。
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藤波のささら獅子舞は、上尾(あげお)市北東部の藤波地区で伝承されている民俗芸能である。起源は定かでは無いが、寛文(かんぶん)年間(1655〜1672年)に始められたと伝えられている。獅子舞は、大獅子(おおじし)中獅子(なかじし)・女獅子(めじし)に扮した三人と、先導役(せんどうやく)・道化役(どうけやく)である猿若(さるわか)一人の四人一組で演じられる。上演機会は、毎年10月の第1日曜日に藤波の鎮守である天神社(てんじんしゃ)秋の例祭で奉納される。舞は境内に設けられた“庭(にわ)”で行われ、獅子舞を一回行うことを「一庭(ひとにわ)する」といい、神社では獅子舞を三庭行う。また、年によっては、獅子舞の用具を保管している密厳院(みつごんいん)でも奉納される。上演には獅子舞や猿若(さるわか)の他に歌や笛がいて、これらの役を「ジョウヤク」と呼ぶ。また、ダシ、拍子木(ひょうしぎ)、貝吹(かいふき)、金棒(かなぼう)、警固、高張(たかはり)、燭第(しょくだい)等の「ムヤク」と呼ばれる役がある。このように、藤波のささら獅子舞は地域の多くの人々によって大切に伝えられている。
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